第4回:行動で変わるサービス

<はじめに>

筆者は富山県に生まれた。地方都市によくある話で、同地では生活に自動車は必須である。会社に行く、食事に行く、友達に会いに行く、近所のスーパーに買物に行く、あらゆるシーンで自動車を使う。

最近、カーナビがよく喋る。昔と比べると、圧倒的に口数が増えた。どこの話好きかと思うほどひっきりなしに喋っていて、時と場所をわきまえることを知らない。おまけに、カーナビが運転を指導してくれることもある。
 「急ブレーキを検出しました。」
 「速度超過を検出しました。」
 「次回は速度変化の少ない運転を心がけましょう。」
いや、まったく。大きなお世話である (笑)。

妻は、この機能が嬉しいらしい。カーナビから褒められることはあっても、指導されることはないのだとか。妻のほうが (安全運転、という意味で) あきらかに運転は上手なようで、カーナビにそれを見抜かれているのがなんとも微妙な感じではあるが。

本連載のテーマ「顕名経済」は個客一人ひとりを特定し、個客に紐づく情報を参照することを前提とする。とすれば、運転者を特定し、運転という行為を情報として参照できるという事実は、関連市場の構造変化を示唆しているのではないか、というのが今回の話である。

<PAYDの登場>

2015年頃、PAYD (Pay As You Drive) と呼ばれるサービスが注目を集めた。自動車保険の新しいモデルである。

自動車を運転する頻度や走行時間・走行距離によって、事故に会う (事故を起こす) 確率は違うはずである。であれば、運転した時間や運転した距離に応じてリスク計算し、保険料を算出すべきである、という考え方が PAYD 型の自動車保険を生み出した。

それまで自動車保険は、自動車に紐付く保険と考えられてきた。実際、自動車を購入するときに契約する人がほとんどだろう。筆者が数年前に車を買ったときも、年払いで自動車保険を契約した。運転者を家族に限ることで保険料を抑えたが、もともとの契約の単位は自動車 (モノ) である。

自動車保険はいくつかの保険の組み合わせで提供される。相手方への補償 (対人補償保険、対物補償保険)、自分への補償 (人身傷害補償保険、搭乗者損害保険、他)、加えて、車両保険などがある。いずれも、契約対象の自動車が事故を起こした場合に適用される。

従来の自動車保険は、統計に基づいた事故リスクの計算が重要な意味を持つ。ある自動車が事故を起こす確率とその時の損害の大きさを予測することで保険料を算出する。優良ドライバー (ゴールド免許、過去の保険適用履歴) や年齢による優遇制度はあるが、あくまでも社会全体の統計上の数字を参照するだけである。運転時の情報を参照することはなく (その手段はなかった)、「事故」という結果に対して保険金が支払われるだけである。

一方で、自動車保険は「運転」という行為に紐づくべき、と考えにも一理ありそうだ。事故も、その結果としての対人・対物の損害や人身傷害も、運転という行為に起因する。車両保険が自動車の価値を基準に計算されるのは理解できるが、それでも事故を起こすリスクは運転という行為から派生するものである。

デジタル時代、リスク計算は詳細化された。様々なデータを取得・蓄積・分析する技術が登場し、今では、何時間、あるいはどの程度の距離を走行すると、どの程度の事故が何回程度発生するか、という数字も把握できるようになってきた。

「運転」という「行為」に関する情報が参照できるのであれば、リスクや保険料の計算もそれにあわせて変えるべきである。月に1〜2回しか運転しない人と、1日8時間以上運転する人で、リスクは違って当たり前である。運転していないときのリスクを計算する必要はない。

PAYDの登場は自動車保険の考え方を大きく変えた。簡単なものでは、自動車を運転する前後にスマホ上のアプリをタップするだけで、「誰が」「いつ」「どこ」から「どこ」まで運転しているかをリアルタイムに把握する。結果、走行時間や走行距離に応じて保険料の計算が可能になった。運転という「行為」に紐付いて保険料を設定する考え方は、まさに本連載の本題である「顕名」の取引そのものである。

<PHYDの登場>

その後、PHYD (Pay How You Drive) が登場した。PAYDが運転した時間や距離に応じた保険だったのに対して、PHYDは運転の仕方、運転の上手・下手を判断する。例えば、急発進や急ブレーキが少ない、カーブの曲がり方が上手、など、安全な運転を心がけている人は保険料が安くなる (もしくはキャッシュバックがある) という仕組みである。

利用者の行動 (この場合は「運転」) の内容によってサービスが変わる、という意味で PHYD は興味深い。誰がどんな行動をしたかがサービスの内容を決める。より進化した顕名サービスとも言える。

技術的には運転の状態を計測・記録し、それを保険会社が参照する。過去に集めた統計データに基づいて安全運転のレベルと対応するリスクを把握していることを前提に、顕名個客の運転レベルを参照して保険料 (もしくはキャッシュバック) を算出する。細かな行動の内容までがデータ化されることに驚きと若干の抵抗はあるが、安全を心がけることで保険料の負担が減るのは理にかなっているとも言える。

こうなると、カーナビの声も重要な意味を持ってくる。私が運転すると保険料負担が増えると言われるのも悔しいので、カーナビのご指導に従い、安全運転を心がけるべきなのかもしれない (いや、本来は、事故のリスクを低減させることが目的なのだが。笑)。

<従来の保険とテレマティクス保険>

PAYD (Pay As You Drive) やPHYD (Pay How You Drive) は「テレマティクス保険」に分類される。テレマティクスとは「テレコミュニケーション (通信)」と「インフォマティクス (情報学)」を組み合わせた造語で、最近では自動車などの移動体に情報通信技術を組み合わせたサービスの総称として使われている。

従来、すなわち、テレマティクス保険が登場する前、自動車保険はモノとしての自動車を対象にリスク計算を行っていたのは前述の通りである。デジタル技術の登場は、様々なデータの取得・蓄積・分析を可能にした。情報技術の利用が、運転中の走行データを収集し、保険料算出に参照できるようになった。今では「誰が」、「いつ」、「どこで」、「どのように」運転しているか、という「行動」情報に基づいて内容が変わるサービスが登場した。

デジタル技術の浸透は「匿名経済」から「顕名経済」へのシフトを促す。従来、モノとしての自動車に紐づく事故情報を統計化してリスク計算をしていたのは、典型的な匿名経済の名残と言える。デジタル時代には、個客一人ひとりを特定し、個客に紐づく情報を参照することで、その行動に応じたサービスを提供する「顕名取引」が注目を集める。

取得できる情報は多様化・詳細化の一途をたどる。今後、さらに多様で便利なサービスが出てくることが期待される。もっとも、そうなると運転の一挙一動にいたるまで、カーナビに細かく指導されることになるのかもしれないが (笑)。

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