第2回:デジタル化するのはモノではなく体験そのもの

<はじめに>

文部科学省がデジタル教科書を推進している。同省のホームページ (*1) では、デジタル教科書を「紙の教科書の内容の全部をそのまま記録した電磁的記録である教材」と説明している。どうやら、紙の教科書と同じ内容をタブレットなどで表示する、らしい。

(*1) https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/seido/1407731.htm

はて。それは、媒体が紙から電子的なデバイスに変わること以上に、どんなメリットがあるのだろうか。この説明に、少なからぬ違和感を感じるのはなぜだろうか。

デジタル教科書の議論は、電子書籍のそれに近い。電子書籍の話をすると「紙の本が電子化される」ことと考える人が多い。電子化によって、たくさんの本を持ち歩かなくていい、ダウンロードできる、などのメリットがあるという。しかし、それは本質なのだろうか。

前回は Amazon Books を例に顕名取引が始まっていることを紹介した。今回は、電子書籍の例を参考に、デジタルがもたらす匿名市場から顕名市場への変化の本質を考えてみたい。また、それをヒントとして、教育のデジタル化の方向性についても言及してみたい。

<Amazon Kindle の衝撃>

Kindle は Amazon が提供する電子書籍リーダーである。もともと、専用端末として販売されていたが、最近ではタブレットやスマホ向けのアプリとして無料で提供されている。自宅では大きな画面のタブレットで読書をしていて、通勤中は小さなスマホで続きを読む、ということも簡単にできる。物理的な本を持ち歩く必要もなく、何百冊という本がいつでも読めるのは、なるほど便利だと感じる。

ところで。ここであらためて考えてみて欲しい。異なる端末で続きを読むことができる。ということは、Amazon は、私がどの本を何ページまで読んでいるかを知っている、ということではないだろうか?

考えてみると、Amazon はいろいろな情報を集めていることがわかる。検索窓に入れた文字列は私が探している本のタイトルや興味を持っているキーワードを表現している。そこで、どんな本を見つけたか、どの本に興味をもって (クリックしたか)、どの本に興味を持たなかったか (クリックしなかったか) も簡単に分かる。今、本棚がどうなっていて、どの本を何ページまで読んだかも知っている。さらには、ある本は3回も読んだ、とか、この本は一晩で全部読み終わったとか、あの本は途中で寝落ちしてるとか、この本は手もついてない「積読」状態だとか、簡単にわかってしまうのである。

そう考えると、本の媒体が紙から電子デバイスに変わった、という次元の話ではなく、利用者の読書に関わる「体験」全体がデジタル化されている、と表現するほうが自然ではないだろうか。

<体験のデジタル化>

Kindle は、利用者の読書体験全体をデジタル化する。前回分を読まれた方には容易に想像できる通り、その体験は個客一人ひとりに紐づくものである。誰が、どのような読書体験をしていて、知識レベルはどの程度で、今、どんな領域に興味を持っていて、過去に読んだ本のリストを参考にすると、次にどんな本を読むと知的体験を広げられるか、などを、一人ひとりにあわせて「顕名」で考えてくれる (AIが、であるが…)。Amazon がオススメする本に、妙に惹かれるものが多いのも納得である。

街中の書店でお店がオススメしてくれる本は、その書店が「売りたい」と思っている本だろう。あるいは、世間で注目を集めている話題の本かもしれない。いずれにせよ、あなたの読書体験には基づかない「匿名」のオススメ情報である。

体験のデジタル化に基づいて個客一人ひとりにあわせた提案をしてくれる「顕名のオススメ」と、お店(あるいは市場)の事情で売り手が考える「匿名のオススメ」のどちらが自分の読書体験を豊かにしてくれるか。結論は明らかだろう。

顕名取引では個客価値の創造が重要な意味を持つ。体験のデジタル化を通して個客一人ひとりにより良い体験を提供することで、匿名では得られなかった価値を生み出すことが、顕名時代の競争力の源泉である。

<デジタル教科書にひとこと>

あらためてデジタル教科書について考えてみたい。冒頭の、文部科学省が考えるデジタル教科書には「体験」をデジタル化しようという意図は感じられない。しかし、今の時代に、すべての生徒に同じ教材、同じ内容、同じ進度で教育を強制し、同じ試験を受けて同じ評価軸で順位付けするが、本当に必要なのだろうか。

ある生徒が、どこに興味を持っていて、どのテーマについて真剣に取り組んでいるのか、どこが苦手なのか、どんな話題を提供すると個性が活かせるのか、といったことを前提に、一人ひとりに特別な教育体験が提供できることがデジタルの強みである。

多様性が重視される時代、一人ひとりの個性を活かし、その子の良さを伸ばすための教育のためにこそ、デジタルテクノロジーを活用する場がある。「モノ」としての教科書の媒体が紙から電子デバイスに変わる、という話ではなく、教育の「体験」そのものを大きく変えるためにこそデジタル化の議論をすべきであろう。

<おわりに>

今回は電子書籍の例を参考に「体験のデジタル化」について考えてみた。「個客一人ひとりに特別な体験を提供する」ことは顕名取引の特徴のひとつである。モノの売り方を変える、という次元の話ではなく、お客様さま一人ひとりの価値観を理解し、より価値ある体験を提供することが重要であり、そこに価値創造のヒントがある。 デジタル教科書についての考察も興味深い。「モノ」としての教科書ではなく、一人ひとりの生徒の「体験」を重視し、顕名の教育を実現していくことこそデジタルの強みである、と考えると、デジタル時代に向けて、教育も大きく変わる可能性がありそうだ。

第1回:個人情報保護法の見直しと改正のポイント

2019年12月13日、個人情報保護委員会が「個⼈情報保護法 いわゆる3年ごと見直し 制度改正大綱」(以下「改正大綱」)を公表しました。この改正大綱は、意見募集(パブリックコメント)手続が採られ、今年1月14日に締め切られています。提出された意見を受けて、最終的な個人情報保護法の改正法案が取りまとめられ、今年の通常国会に提出されました。

ジンテック通信では「個人情報保護法の見直しにより事業者にどのような影響があるのか」を、改正内容を踏まえて数回にわたり紹介していきます。

―なぜ、見直しが行われるのでしょう

個人情報保護法は、平成15(2003)年に制定され、平成27(2015)年に改正されました。改正個人情報保護法には附則が設けられ、改正法制定以降の社会・経済情勢の変化を踏まえ、政府に対し3年を目途として、法律の見直しを求めています(附則12条3項)。そこで、政府は昨年1月から個人情報保護法の見直しの検討を開始し、2019年12月13日に個人情報保護委員会が「制度改正大綱」を取りまとめ、公表しました。

その内容は、https://www.ppc.go.jp/files/pdf/seidokaiseitaiko.pdf にあります。

―附則とは法律ですか

ちなみに附則とは、法律の本則を定める部分とは別に、法令の施行期日や経過措置、関係法令の改廃等に関する事項など定めたものをいいます。附則は、本則とは法律で別に定められます。もちろん附則も法令の一種なので拘束力があり、政府は附則の規定に従って見直し作業を行っているのです。このように、見直しについての附則がある法律の例として貸金業法があります。

―見直しを行う観点は何か

今回は、5つの観点で見直しが実施されています。

第一点目は、情報を提供する個人の自らの情報の取扱いに対する関心や、関与への期待が高まっており、「個人の 権利利益を保護」するために必要十分な措置を整備することに配意しながら制度を見直す必要があるという点です。第二点目は、最近の個人情報や個人に関連する情報を巡る技術革新の成果が、経済成長等と個人の権利利益の保護との両面で行き渡るような制度を目指すことが重要であるという点です。第三点目は、デジタル化された個人情報を用いる多様な利活用がグローバルに展開されており、国際的な制度調和や連携に配意しながら制度を見直す必要がある点です。第四点目は、海外事業者によるサービスの利用や国境を越えて個人情報を扱うビジネスの増大により、個人が直面するリスクも変化しており、これに対応する必要がある点です。最後に、AI・ビッグデータ時代を迎え、個人情報の活用が一層多岐にわたる中、本人があらかじめ自身の個人情報の取扱いを網羅的に把握することが困難になりつつあり、事業者が個人情報を取り扱う際に本人の権利利益との関係で説明責任を果たしつつ、本人の予測可能な範囲内で適正な利用がなされるよう、環境を整備していくことが重要であるという点です。

―どんな見直しの内容になるのか

今回の改正大綱では、前記の5点を踏まえ、個人情報の取扱の基本ルールを見直すとともに、個人情報取扱事業者の責務の内容を見直しています。また、現在の個人情報保護の関連法律には、国の行政機関に関する「行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律」や独立行政法人に対する「独立行政法人等の保有する個人情報の保護に関する法律」があり、地方公共団体には、個人情報保護法が適用されるほか、地方公共団体ごとに定められた「個人情報保護条例」(いわゆる「2000個問題」※注)があります。そこで、このような複雑な状態を解消し、個人情報に関する法律の一元化を行おうとしています。

※注:2000個問題  個人情報保護法の関連法律・条例が「民間事業者」+「国の行政機関」+「独立行政法人」 +「自治体(都道府県47、市区町村1750、広域連合等115)」で異なり、特に約1000ある地方自治体等で設けられている個人情報保護条例の条文のばらつきが大きいことを指しています。条例では、「個人情報」の定義が違うことに加え、「個人識別符号」「要配慮個人情報」「匿名加工情報」「非識別加工情報」の有無、学術研究利用の適用除外条項の有無などの違いがあり、安全管理の水準もばらつきが指摘されています。したがって、条文の解釈が各自治体によって異なり、データオープン政策や企業の情報の利活用にも大きな支障になりかねないといった問題が指摘されています。

―今回の改正のポイントは

改正大綱によれば、主に以下の点が大きなポイントでしょう。

➀情報主体の「保有個人データ」の利用停止・消去の請求、第三者提供の停止の請求に係る要件を緩和すること。

②本人の開示等の請求対象となる「保有個人データ」に6か月以内に消去される短期保存データを含めること。

③第三者への提供時・第三者からの受領時の記録を開示請求の対象とすること。また、開示方法を本人が指示できるようにすること。

④オプトアウト規定で第三者提供できる個人データの範囲を従来よりも限定すること。

⑤一定数以上の個人データ漏えい、要配慮個人情報の漏えい等につき、速やかに個人情報保護委員会へ報告することを義務付けること。

⑥「仮名化情報(仮称)」という概念を新しく導入すること。 このような見直しは、個人情報を取り扱うすべての事業者の現状の取扱方法の見直しにつながります。特に個人情報の利用に情報主体が大きく関与することになり、その取扱いを透明度の高いものにする必要があるといえます。

―今後の動き

改正個人情報保護法案は、3月10日に閣議決定され、国会に提出されました。本連載では、法案の内容にしたがって順次内容を紹介し、金融サービスにおける個人情報の取扱手続の見直しの必要性や金融サービスにおける個人データの利活用、オープンバンキング、情報銀行への取り組みにおける留意点などを継続していく予定です。

第1回:個客一人ひとりに特別な価値を提供する時代に

<はじめに>

Amazon で本を購入すると、面白そうな書籍が次々と紹介される。自分が過去に読んだ本の履歴からのリコメンド(オススメ)が思ったより精度が高いことに驚く。つい買ってしまって積読 (ツンドク) が増える、と感じている人もいることだろう。

一方、本屋でちょっと恥ずかしい雑誌を買うときはやっぱり現金で、なんてことはないだろうか? (あれ? 私だけ? 爆) 自分の購買履歴を記録に残したくないときには現金が便利である (笑)。

ひと昔前は現金取引が当たり前だった。後者の例のように、お客様が「誰か」を意識する必要がない取引であり、これを「匿名取引」と呼ぶ。一方、前者は、お客様を特定する「顕名取引」に分類される。顕名取引は「個客」、つまり、一人ひとりのお客様にあわせて取引を行うことを特徴とする。

デジタルがもたらす変革のひとつは「つながり」である。デジタルが前提の「つながりの市場」では「取引の相手が誰か」を容易に特定することができる。取引は個客を対象とし、取引が匿名から顕名にシフトすることは自然な流れである。

本コラムでは、全12回で、匿名市場から顕名市場へのシフトがどのように進んでいるのか、顕名市場では取引の前提がどう変わるか、企業がどんな価値を提供するようになるのか、などについて考える。本コラムの考察がビジネス戦略を考えるヒントになれば幸いである。

<Amazon Books での発見>

1年ほど前のこと、米国西海岸 (San Jose) で Amazon Books に立ち寄った。Amazon が運営する実店舗の書店である。見た目は普通の本屋さんだが、“What’s your price?” (あなたの値段はいくら?) という表示が目をひいた。

立ち寄った Amazon Books では、本や商品棚に値札はなく、代わりに、商品(書籍)に QRコードが貼ってあった。事前に、スマホにアプリをインストールしておいて、QRコードを読み取ると「あなたの値段 (your price)」が表示される、という仕組みである。

”What’s your price?” というメッセージは分かりやすい。あなたが誰かによって取引の内容が違う、ということを端的に表現している。Amazon Prime に参加する人にはあらかじめ割引がきく、あるいは、特定のキャンペーンに参加していれば、該当商品に割引がきく、などは分かりやすいだろう。さらに、少し応用すれば、過去にあなたが Amazon からオススメされた書籍は◯%オフ、なんてことも技術的には可能である。

<匿名の時代>

考えてみると、身近にある取引は「匿名」を前提とすることが当たり前だった。例えば、コンビニエンスストアで500円のお弁当を買うことを考えてみよう。そこでは、お弁当と500円玉を交換することで取引が成立する。お客様が誰かは関係ない。そのとき、店員さんが見ているのはあなたではなく、500円玉である。

従来の経済学では取引を「財やサービスを貨幣と交換する」と考える。モノとカネを交換することで取引が成立するので、これを「交換の市場」と呼ぶ。取引の定義が物語っている通り、そこでは、お客様が誰かは関係ない。

匿名取引の背景には大量生産・大量消費の考え方がある。経済学は産業革命後の市場構造や企業活動を学術的に捉えてきた。膨大な数の事例研究や深い議論を重ねてきた経済学だが、デジタル時代よりずっと前に骨格ができあがったことは否めない。そこでは、たくさんのモノを作って、たくさんのヒトが買う。モノの値段と、それを買うヒトの数が重要であり、一人ひとりのお客様が誰か、ということは重視されなかった。

<顕名へのシフト>

一方、デジタルの時代、特にキャッシュレスが浸透してくると、個客、すなわち、お客様さまが誰かということは簡単に分かる。Amazon Book の事例が示す通り、個客一人ひとりを特定できるのであれば、そのお客様にあわせて商品やサービスを提供しようと考えるのは自然な発想である。

デジタルがもたらした「つながり」は取引の前提条件を変える。個客を特定し、個客に関わる情報が参照できるようになる。匿名取引ではモノが価値を持つと考えられたが、個客を特定する市場では、個客の価値を最大化することを目指す。つまり、顕名市場では「個客一人ひとりに特別な価値を提供する」ことが重視される。

デジタルの時代、モノの価値よりも個客が得る価値が重視される。個客の価値感を理解し、個客一人ひとりが納得し、満足できる商品やサービスを提供することが、ビジネスの差別化要因であり、成長の源泉になる。

<おわりに>

デジタルは取引の前提を大きく変えた。デジタルによる「つながり」が、匿名市場から顕名市場へのシフトを後押ししている、とも言える。

次回以降、つながりの市場において、どのような情報が参照され、取引の前提がどのように変わっていくか、顕名市場のサービスの構造がどのように変わってきているかについて紹介する。本シリーズの後半では、デジタル時代の企業戦略や企業経営はどう変わっていくべきか、についても考察したい。

世界の変化をわかりやすく!